メッシはなぜ祖国で「戦犯」と呼ばれ、そして「救世主」になったのか——7年間の地獄と、たった90分で覆った評価

2016年6月、ニュージャージーの夜。

ピッチに崩れ落ちたメッシは、涙を拭いながらこう言った。

「代表は、もう終わりだ。自分には向いていない。」

世界最高の選手が、自国の代表引退を口にした瞬間だった。

それから6年後——2022年12月18日、カタール・ルサイル。

同じ男が、黄金のトロフィーを掲げて祖国中を熱狂の渦に叩き込んでいた。

たった一人の選手の評価が、これほど極端に、そしてこれほど短期間でひっくり返った例は、スポーツ史でもそう多くない。

一体アルゼンチンで何が起きていたのか。今回は、メッシが「戦犯」と罵られた時代から「国民的英雄」へと駆け上がるまでを、時系列で追っていく。

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結論から言うと、彼は「弱かった」わけではない

先に結論を言ってしまう。

メッシが叩かれた理由は、実力不足では断じてない。

「あと一歩のところで、勝ちきれなかった」——ただそれだけだった。

アルゼンチンには、1986年にディエゴ・マラドーナがほぼ一人でワールドカップを勝ち取ったという、途方もない伝説が今も国民の血肉として残っている。

その物差しで測られる限り、メッシがどれだけバルセロナで得点を量産しようと、「代表で優勝していない男」という評価から逃れることはできなかった。

そしてこの物差しは、2021年を境に、突然彼の味方に変わる。

批判の火種は、意外にも早くから燻っていた

メッシへの逆風が吹き始めたのは2010年前後。

当時すでに彼はFCバルセロナで「世界最高」と呼ばれる選手になっていた。しかし代表では、

  • 2010年南アフリカW杯:準々決勝でドイツに0-4の大敗
  • 2011年コパ・アメリカ(自国開催):準々決勝で敗退

という結果が続く。特に自国開催のコパ・アメリカでの早期敗退は、国内に大きな失望を残した。

「バルセロナでは神様なのに、代表では別人になる」

そんな声がじわじわと広がっていく。

背景にあったのは、間違いなくマラドーナとの比較だ。マラドーナは1986年大会で文字通り一人で国を優勝に導いた「神」だった。だからこそアルゼンチンには、

「本当に偉大な選手なら、代表でも優勝して当然」

という、他のどの国よりも厳しい基準が存在していた。

2014年、「あと一歩」が悲劇の始まりだった

ブラジル大会でメッシは大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞。アルゼンチンを24年ぶりの決勝へと導いた。

決勝の相手はドイツ。試合は0-0のまま延長戦に突入し、113分、マリオ・ゲッツェの一撃で沈む。0-1。準優勝。

普通の国なら、これは英雄的な準優勝だ。

だがアルゼンチンでは違った。

「惜しかった」ではなく、「また優勝を逃した」という失望のほうが、はるかに大きな声になった。

このときメッシ自身は決して不調ではなかった。それでも「勝てない男」というレッテルは、この準優勝によってむしろ強化されてしまう。

悪夢の2連発——2015年・2016年コパ・アメリカ

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