準備の三手

準備1:連絡設計
「返信は07–09時、既読催促なし、変更は一回、期限は明日21:00」
私は送る。
「OK」
短い。けれど、今はそれで充分だ。
“短い=拒絶”と決めつけない、と私が私に言う。
「ありがとう。助かる」
その一行で、画面の温度が少し上がる。
準備2:場面設計
初回は60分。ベンチ5番。
動線は門→ベンチ→屋根つき広場→門。
雨なら図書館。騒音が強ければ、壁沿いの席へ。
写真は最初の三分で一枚。
私は小さな青いタイマーと薄いブランケットをバッグに入れる。
距離、音、匂い——子の安心>楽しさ>記録の順に並べ直す。
準備3:合図/撤退線
「嫌のときは耳ね。合図の後は五分休憩」
子と鏡の前で練習する。
「忘れたら?」
「そのときは、私が聞く」
早退ライン30分。カードに書いて、外ポケットへ。
私は深呼吸を一つ。“守る”が先、“見せる”は後——胸の中で順番を入れ替える。
※豆知識:日時・場所・連絡窓はメモで残すと、後日見直しや調整がしやすい。([出典:裁判所の記入例])
落とし穴と戻し方
誤読の罠
短文は、ときに過去の怒りを呼び起こす。
——決めつけの前に、一拍置き、確認の一行を挟む。
「この意味で合ってる?」で、空気がやわらぐ。
手ぶらの壁
「せっかく来たのに、何も?」と子の顔が曇る日がある。
——“写真一枚ゲーム”に置き換える。今日の楽しかったものを一枚だけ。
“物”のかわりに、体験を持ち帰ると決める。
——ルールは縛るためじゃない。安心の枠を描くためだ。 <!–nextpage–>
当日の運用

広場は賑やか。ベンチ5番は先客。
相手はポケットから何か四角いものを少し出して、そのまま戻した。
——今日は本当に手ぶらで来た。
その仕草だけで、胸の高さが一段下がる。
「ここ、音が大きいね」
私は紙の地図を指でなぞる。
「図書館、行ける?」
「うん」
子の靴が水たまりで小さく鳴る。濡れた土の匂い。
私たちは並んで歩くけれど、半歩ずつ、別々のリズムだ。
児童コーナー。
「写真、一枚だけ」
相手がスマホを構え、無音のまま子と視線を合わせる。
共有ボタンの画面を出しかけて、ふっと閉じる。
私の喉の緊張が、目に見えない糸ごと緩む。
「どれにする?」
子は本棚の角をなぞって、表紙の犬を選ぶ。
耳さわりの合図は……今日は出ない。
私はカードに指を触れて、子の呼吸を見て、やめる。
——“思い出させない勇気”も、合図のうちだ。
「ここ、声は小さめでお願いします」
図書館員の一言。相手はすぐに会釈して、
「すみません。助かります」
前は反発した口が、今日は角を丸めた。
返事の言い方ひとつで、空気は変わる。
「今日は短めで終わろう。帰ったら犬の絵を一緒に描こう」
私が提案すると、子は頷く。
相手のポケットの中で、何かがコツンと小さく鳴り、それきり静かになった。
出しかけた“贈り物”の衝動。
——出さないという選択が、いちばん大きな贈り物になる日がある。
——“うまくいく日”じゃなく、損なわない日でいい。
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